2024年03月06日

あなたの知らないビジネス探訪-vol.22-

IIJの立ち上げメンバーであり日本のインターネット黎明期を支えたエンジニアから見た「今後のビジネスに必要なもの」とは

世の中にはさまざまなニーズが存在し、多種多様なビジネスがあります。
業界内の人々にとっては当たり前のことでも、業界外に出てみると知らないことばかりです。

今回は、日本のインターネットの普及に尽力した先駆的なエンジニアである浅羽 登志也さんに取材いたしました!
現在、株式会社ティーガイア の社外取締役と株式会社インターネットイニシアティブ技術顧問として活動されています。

浅羽さんがエンジニアになるまでの過去から、スーパーコンピューター研究所でのご経験、
その後IIJのインターネット事業立ち上げのお話まで詳しくお伺いしました。
また、AIが発達する現代で、今を生きる世代が持つべき「前向きで創造的な物事の捉え方」に関して、
日本のインターネット黎明期を支えたエンジニア目線でご意見を頂きました。

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ぜひ、内容を楽しんでみてください♪
 

浅羽 登志也ASABA TOSHIYA

1989年に(株)リクルート入社。1992年に(株)インターネットイニシアティブ設立とともに入社。
以後日本のインターネットサービス立ち上げに携わる。
現在、(株)インターネットイニシアティブ技術顧問、株式会社ティーガイア社外取締役、株式会社パロンゴ監査役。平日は主に企業経営支援。土日はドラマー兼ファーマー。

 

スーパーコンピューター研究所でのご経験

中島

本日はよろしくお願いいたします。

浅羽さん

よろしくお願いします。

中島

早速ですが、現在はどのようなお仕事をされているんですか?

浅羽さん

現在は株式会社インターネットイニシアティブ技術顧問と株式会社ティーガイア社外取締役として活動しています。

中島

社外取締役とは一体なんでしょうか?

浅羽さん

社外取締役は、企業の外から企業の経営に関して評価し、意見を取締役会で述べる役割です。
私は技術方面の知見を活かして、企業の方針や新しい技術導入について助言をすることが多いですね。

中島

なるほど。リクルート時代にはスーパーコンピュータ研究所にいらっしゃったそうですが、
どんな仕事を行っていたのでしょうか?

浅羽さん

とてもユニークな環境でしたね!
当時、リクルートは大型計算機をサブスクリプションモデルで(今でいうクラウド)事業を行っていました。
1番すごいコンピューターはスーパーコンピューターだという事で、スーパーコンピューター研究所を作ったそうです。
研究所では普通の実験では出来ないような、物理現象や核反応などの実験のシュミレーションを行っていました。

中島

当時のリクルートはそういった事業も行っていたんですね!

浅羽さん

スーパーコンピューター研究所にはスパコンの研究者ではなく、スパコンを使う色んな分野の研究者が沢山所属していました。
当時のリクルートはハワイ大学が拠点のインターネット国際回線に繋がっていたので、
そこのインターネットの接続、パソコンの管理、ネットワークの管理も行っていました。

中島

国際回線も繋がっていたとは、流石リクルートです。
リクルートを経て IIJのインターネット事業立ち上げに関わられたとのことですが、どういう経緯だったのでしょうか?

浅羽さん

1992年にリクルートがコンピューター事業から撤退した後、
インターネットの父と言われている慶応義塾大学の村井純先生の誘いで、IIJの創業メンバーとして参加しました。

軽井沢での生活

中島

現在、軽井沢にお住まいと伺いましたが、そのきっかけは何だったのでしょう?

浅羽さん

きっかけは2010年に軽井沢に別荘として家を買い、翌年の東日本大震災を機に引っ越しました。
住み始めて最初の頃は、軽井沢から東京に通勤していましたね。

中島

軽井沢から東京ですか! 何故、拠点を東京から軽井沢に移したのでしょうか?

浅羽さん

48歳前のある日、池袋の喫茶店で仕事していた時、窓の外をみると広告ばかりだと気付いたんです。
リクルート出身の私が言うのもあれですが、何で広告ばっかり見て生きていかなければいけないんだと思いました(笑)
広告に囲まれて生活している事を認識していなかった自分にも愕然として。
そこで、田舎に住んでみようかなとふと思ったんです。

中島

なるほど、情報が多い東京から離れて生活してみたかったと。
軽井沢に行き、どういう経緯で農業を開始したのでしょうか?

浅羽さん

まずは小さな規模ですが野菜の栽培をしていました。
長野県上田市にIT企業を経営しながら有機農業をしている方がいて、その方にお米の作り方を教えて貰い、
趣味程度ではありますが本格的に農業を開始しました。

中島

野菜からお米まで栽培しているとは、軽井沢ライフ楽しんでますね!
趣味とはいえ、どんな規模で栽培しているのでしょうか?

浅羽さん

田んぼと言っても1000平米位です。
田植えは大変ですが、毎日の水の管理や雑草抜き等が必要だがそこまで大変ではないです。
収穫する時は、稲刈りの手伝いがしたい方ってがかなりいるので、助かっています。

日本のインターネットの普及に尽力した先駆的なエンジニアの過去

中島

浅羽さんは、幼い頃から数理工学やコンピューターに興味を持っていたんですか?

浅羽さん

幼少期は特に数理工学が好きというわけでは無かったですね。
物理が好きだったので、大学は理学部に行きましたが理学部に入ったものの周りに付いていけなくなって工学部に編入しました。パーソナルコンピューターが普及し始めた頃だったので、大学に入りプログラムを勉強していましたね。
その当時はパソコンが高価で家にパソコンが無かったので紙にプログラムを書いて、
大学の生協で販売しているパソコンにプログラムを入力して動かしていました。

中島

販売中のパソコンで!就職活動はどうだったのでしょうか?

浅羽さん

就職する時も、コンピューターの何かに関わりたいと思っていました。
ここまで 来るのには随分回り道だったなあと思います。
大学で就職活動していた時、ちょうど第2次AIブームだったんです。
大々的にAIやりますよっていう企業に内定を貰っていましたが、内定式に出た時「何か違う」と思いその場から逃げました。
リクルートは面白そうな会社だったので、逃げることもなく入社しました(笑)

中島

ビビっと来たわけですね(笑)
内定式から逃げるとは、かなり行動的だと思いますが、他にも直感で行動した経験あるのでしょうか?

浅羽さん

リクルート時代、管理していたインターネット国際回線の先にあるハワイ大学に行きたいと直感で思いました。
上司に相談して、3か月くらいハワイ大学に行き、共同研究を行った事もあります。
ハワイに行ったからこそ出会えた人達に会えて、その繋がりが新しい事業をする際にとても役に立ちましたね。
チャンスというのは、とりあえず食いついてみないと分からないなと感じます。

浅羽さん

ホリエモンが「桃太郎理論」を提唱していて、それが最近しっくり来ています。
桃太郎の物語は、おばあさんが大きい桃を拾ったから物語が展開していくんですが、
現代の人って絶対に大きい桃が流れてきてもスルーするんです。リスクを考えてしまって拾わない。
きっと私達は日頃沢山のチャンスを見逃しているんだ、とホリエモンが仰っていました。

中島

なるほど。面白そうと思っても、失敗したらどうしようと恐怖心・心配で挑戦できない事ばっかりです。

浅羽さん

興味が少しでもあるなら拾ってみると人と違うものに出会えるし、新しい事が出来るかもしれないと思います。
僕もインターネットというモノを拾ったからこそ、ここまで来れたんだと思います。
当時は、リクルートの役員に呼ばれて「インターネットなんかビジネスにならないだろ」と言われました。
現在、インターネットが無ければ成り立たない社会になってます。
何がチャンスなのか分からないけれど、とりあえず食いついてみるのも大切だと思いますね。

浅羽さんから見た、これからのインターネット時代

中島

インターネットが発達した現在、生活にどう影響していると思いますか?

浅羽さん

リモートワークの普及で、住む場所や働く場所から解放されると思います。
実は、インターネットが普及しだした当時からリモートワークを行っていました。
昔は家で家業を行うのが普通でしたが、産業革命以降は、機械が出来て皆が工場に集まって仕事をしだしました。
いわゆる動力がある場所に機械が集まって、機械がある所に人が集まって、その機械を使用し産業を起こしていた訳です。

浅羽さん

インターネットは、それを分散してくれる存在です。
現在、リモートワークが普及する事で、人が集まって仕事する理由が無くなったのは大きいですね。
集まって仕事する理由が無くなり通勤から解放されるとなると、住む場所からも解放されるんですよね。

中島

移動時間が必要なければ、どこでも仕事出来ますもんね。
ここ最近はAIの進歩も凄いですよね。

浅羽さん

5年前はAIが話題になるまで、こんなに進歩するとは思っていなかったですね。

中島

今後、AIの進化がビジネスにどのような影響を与えると思いますか?

浅羽さん

ネットの普及やAIの進化に合わせて、今までにない事業・ビジネスが出てきて変化していくと思います。
最近はDXという言い方ですが、既存のビジネスもどんどん変化していますよね。

中島

「AIが仕事を奪う」と言われていますが、浅羽さんはどうお考えですか?

浅羽さん

今って、自分の生きる為の仕事をしていないんです。ほとんどの人は誰か他の人のための仕事をしています。
食料を作ったり、住む家を自分で建てたりなど、自分の衣食住を自給自足する為に一番重要なはずの仕事を現代人はしていないのです。それらはそれが得意な他の人や機械に奪われてしまいました。
人間は常に新しい仕事を生み出してきました。今後仮にAIに今の仕事を奪われたとしても、他の新しい仕事が生まれるはずです。今やっている仕事なんか昔は1つも無かったですしね。
AIが出来ない事で、誰か他の人の役に立つ仕事を新しくどんどん作ればいいと思いますね。
だから、そんなに心配しなくても良いと僕は思います!

中島

なるほど、奪われた先でも新しい仕事を生み出していけば良いんですね。
新しい世代
は、どういう気持ちでこれからの時代を作ればよいでしょうか?

浅羽さん

自分が生きる為に必要な仕事からは既に解放されているので、自分の得意なことで人の役に立つ仕事、
さらにその先の娯楽や人との繋がりを作る仕事はもっと伸びしろがあると思います。
こういうビジネスがあったらもっと世の中楽しんじゃないの?と想像力でワクワクして今後の世の中を作って欲しいですね。

中島

本日は貴重なお時間ありがとうございました!

浅羽さん

ありがとうございました。

今回の発見

  1. チャンスをつかむには挑戦を重視し、失敗を受け入れながらとりあえず食いついてみる事が大事
  2. AIが出来ない事で、誰か他の人の役に立つ仕事を、新しくどんどん作る意欲を持つのが大事
  3. こういうビジネスがあったらもっと世の中楽しんじゃないの?と好奇心を持ちながら今後の世の中を作る姿勢が大切

今回の記事いかがでしたでしょうか?

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